あけおめことよろ

今週のお題「私の年末年始」
2013年秋に祖母が亡くなりました。
私にとっては18歳まで一緒に暮らした最後の祖母。
離れて暮らすようになってからもう20年以上が経ちますが、それでも月に1度は顔を見ることができていました。
祖母の認知症はある時期から急激に進み、同居の両親の苦労やいらだち、空しさ、さみしさがピークを迎えたのではないかと思う頃、最後に少し微笑んで、自宅のベッドの上で息を引き取りました。


線がある。
生死を分ける線。
その線を超えた時、命の火は消える。
親の後ろに自分が、祖父母の後ろに親が、その線に面して並んでいる。
その線を一歩踏み出した祖母はこの世を旅立った。
親と私が一歩その線に向かって前進した。
確実に死は近づいている。
避けられない真実。

心臓が止まってからたったの二日で小さな箱に入れられる。
88年も生きていたのに。
肉体と骨では、存在価値が全く違うのだ。おなじひとであっても。
心臓が動いているかいないか、全然ちがうのだ。
忘れられていくことは自然なこと。
忘れることも同じく自然なこと。でも時々思い出したい。


とらわれることはないのだ、と思います。
色々なことは、もっと大ききな流れ、たとえば人間の進化とか歴史の変化とか、文化の流れの一かけらでしかないのだから。
祖母の死で色々と考えることもありましたが、新しい年が始まって小さな姪っ子に「大好きよ」と言われるとまさに生きている実感を味わえました。


毎週会える生徒の皆さんたち、お母さん方、
職場の人たち、
近所の洋服屋さんのお姉さん、
遠くてなかなか会えないけど通じ合っている人たちの存在が、
私の魂を生かせてくれています。


というのが、私の年末年始 です。