先週末は雨が降り、田舎はこんなどんよりとした霧に包まれました。

しかし今はちょうどバラの季節。霧に霞んで、雨のしずくが花びらに乗っているのもこれまた風情がありますなぁ。
この後、母がこのバラをばっさり!えぇぇ〜〜、もったいない!と思ったのですが、他の蕾なども摘んで私にくれました。

柿の木の下にも赤いバラが。小さくて一重です。シンプルなバラはたくさん咲いていると優雅ですね。

びわも食べられる時期になりました。昔は小さくて酸っぱいびわしか食べたことがなかったので、びわに対してはおいしいというイメージはありませんでした。最近は立派なものにお目にかかれるようになり、自分の中でやっと「果物」として認められるようになりました。

まだまだ蕗はたくさんあります。傘にしたいくらい、大きな葉っぱ。小学生のとき、蕗の葉を三角に丸めてコップのようにして、山肌から出てくる水を飲んだものです。どんな田舎やねん〜、って思われるかもしれませんが、すっごい、田舎です。

前にも載せたでしょうか。タバコの花です。意外と可愛らしいでしょ。


田舎は相変わらずゆっくりと時間が流れており、時に合った草花がそれぞれのピークを精一杯生きております。
これからは花だけでなく、野菜もたくさん実ります。それを目当てに足しげく田舎に通うのでした・・・



もう先月のことになります。
知り合いに招かれて、お城山にお茶会に行ったとき、これを発見!

「水琴窟」と言うものだそうです。説明は難しいので、お時間のある方は二の丸へ。
・・・っと言ってもやっぱりね。
えぇ〜と、竹の先に耳を当てると、しずくが落ちる音が聞こえます。
ただの水が落ちる音ではなくて、地中に埋められた瓶の中の水に落ちることで音が反響し、鉄琴のような鮮明で水とは思えない音がします。
日本人ってすごいなぁ、と思った瞬間です。単なる水滴をもっと芸術的に価値あるものにして、聞く人をうっとりさせる。
江戸時代中期に考案されたとしていますが、今も受け継がれて江戸時代と同じ音を聞くことができます。


友人にお願いして譲ってもらった本に漢文の参考書がありまして、ちょびっと読んでみたところです。
孔子とか老子論語とかいう懐かしい言葉が出てきました。
なんで読みたくなったのかは分かりませんが、漢字ばっかりの文章をすらすら読めたら楽しいかなぁ〜。そうでもないか?!
今思えば、論語も習ってたんですね。その教えとか考え方とか、一体どこに行っちゃったんでしょ。


「宇宙とは何か?哲学的にね。」
と今朝質問をされて、う゛ぅぅ〜っと考え込んでしまいました。
答えは「認識できる範囲」だそうです。ということは、知れば知るほど宇宙は広がるということですね。
確かに今の科学では、宇宙は膨張し続けていると言われています。それを知った瞬間、人間の認識範囲も広がり続けているのですね。
自分の宇宙はどうでしょう。
論語には「知るとは知らないということを知ること」とあります。
まだ「知らない」ことは自分の宇宙外のことで、知りえたとき自分の認識の範囲内に含まれて、自分の宇宙が広がる。
めだかにとっては入れられている瓶の中が全て。そこが知りえる宇宙なのです。それ以外行きようがない。
井の中の蛙」ともよく言ったもの。カエルにとっても井戸が宇宙の全て。
知りたいという願望が、人の宇宙を広げていくのかな。